熊野古道 プロローグ  あれは秋の涼風のたなびくOB会街歩きの路上だったか、あるいはクリスマスマーケットに向かって寒空の元を歩く途上だったか。 隣を歩く千秋さんが「熊野古道って行ってみたいね」と呟いた。 独り言なのか私に話しかけたのか。 第一章 始動  熊野古道。 勿論名前は知っているし石畳の写真を見たこともある。 しかしそれだけでしか無かった熊野古道を調べてみると幾つものルートがあると知った。  こいつは古道近くに宿を定めてここをベースにして2〜3日かけて歩き回れば5月合宿として良いのではと思った。 先ずベースとしてコテージを決めて3月定例会で提案しLINEにもアップした。 その後の呑み会で佐藤さんが参加しても良い、と言ってくれた。 佐藤さんが神社仏閣に興味のある人で助かった。 これで車が確定できた。 (この日は千秋さんは欠席でその意向は判らなかったが後日宮嵜さんと一緒に参加が決まった) その夜宮嵜さんから「千秋さんと古道に行きたいって話していた。 検討したい。 自分はこの日はダメ」と連絡され、それならばと宮嵜さんの都合の良い日で日程を決めコテージを予約した。 (これが後述するように8名参加まで膨れた大きな要因になった)  3月31日、8期生だけの桜散歩の際、みよ子さんから「古道に行ってみたい。日程は?」と聞かれた。 決まっているので直ぐに答えたら基本的に行くとのこと。 日程が決まっているという事はこういう事なのだな、と深く納得してしまった。  4月定例会で今度は倉地さんから参加表明が出た。 さぁ困った。 車一台では5人が限度。 申し訳ないが倉地さんには断ろうと思った。 その旨を呑み会帰りに千秋さんと話していると「車の都合で人数を制限するのは反対。 参加したい人は全員参加して貰いたい。 車ならばレンタカーがある。 宮嵜さんにお願いすれば運転してくれると思う」と言われた。 これには心が洗われた。 そうだよな! 宮嵜さんに相談すると直ぐOKしてくれた。 翌日萩原さん夫妻の参加表明があり最終的に8人が参加してくれた。  現地までの各自の移動手段(萩原さん夫妻は現地に前日入り、倉地さん、宮嵜さん、みよ子さんは列車、千秋さん、佐藤さん、私は佐藤車)、熊野古道のルート設定、毎日の食事、等々、決めるべき事項は多々あれども古道行きのLINEグループ内で適宜相談しながら決めていった。 先輩方が多く私が率先して決められなかった為決めるまでにグダグダと長くなってしまって迷惑をかけたが、見かねた千秋さんがLINEのグループビデオ通話を開いてくれたりして何とか4月18日に骨格は決める事ができた。  総合リーダー:斉藤、ルートリーダー:萩原、会計:千秋、食当:斉藤、と担当も決まった。 さぁ、あとは現地にて無事皆で集合するだけだ。 ただ天候が悪くなりそうなのが気がかりだった。 第二章 出発  5月16日(金)AM3:03。佐藤さんから出発したとのLINE連絡。 八王子まで私を迎えに来てくれる。 有難い事です。 AM4:00前に高速道路に乗れば割引されるという事で未明の出発です。 千秋さん家に寄ってから一路熊野古道を目指す。 集合場所は三重県の紀勢本線新宮駅にPM14:00。 倉地さん、宮嵜さん、みよ子さんは列車で新宮行き。 PAでトイレ休憩を挟みながら順調に向かう。 ところで東名高速を走っているのはトラックばかりで自家用車など殆ど見ない。 大げさでは無く本当にトラックばかり(これは古道からの帰り22:00頃の東名上りも同じようにトラックばかりでした)。 鹿児島ナンバー、青森ナンバーの車もちらほらと見かける。 このように物流を担って下さる方々が深夜早朝に働いて下さるお陰で我らの日常の暮らしが成り立っているんだなぁ、としみじみと感慨深く改めて思いました。  佐藤車のナビが古くて名古屋で道を間違えナビの地図上で道の無い所を走る、というアクシデントを乗り越え、新倉神社、速玉神社に寄り道しながらPM13:40新宮駅到着。 列車組3名はPM13:30には着いていました。 駅前でレンタカーを借り駅近のイオンで夕食用の食材を買って「おとなしの郷」に向かう。 コテージは9名用でゆったりとは言えないが窮屈でもない。 ただ9名用なのに冷蔵庫が小さかったのが難点と言えば言えるかもしれない。  今日はBBQ。雨が降りそうだがBBQコンロを大きく覆うターフをコテージ側で用意してくれたので雨天でも大丈夫。 BBQは食材を切るだけなので食当としても楽なもんだ。 オプションで5㍑ビールサーバーも用意した。 準備ができたら早速焼き始める。 食べ始めて30分ぐらいしただろうか萩原さん夫妻も到着、今日は中辺路、小雲取越えを歩いたとの事。 これで8名全員が揃いました。 呑んで食って毎度おなじみの昔話に花を咲かせながら夜も更けました。  萩原さんは「この5月合宿にこれだけ人数が揃ったのは斉藤が最初に日程をカチッと決めてくれたお陰で参加を決めやすかったからだ」と煽ててくれました。 この台詞は合宿中に2回言われ6月街歩きでも言われました。(;^_^A イエイエ、それは宮嵜さんのお陰です。 第三章 雨  5月17日(土)。 起床すると横殴りの雨。 7時出発予定を8時に繰り下げて様子を見る。 その内に強く降ったり弱まったりと少しはましになったので雨天強行。 今日の予定は、  ◎車2台で発心門王子 → 萩原さん、佐藤さんが車2台で熊野本宮大社駐車場へ → 車1台で発信門王子駐車場へ戻る → 6名を追う → 熊野本宮に着いたら発信門王子へ車を取りに行く → 駐車しておいた車を引き揚げて熊野本宮に戻る という少しトリッキーな工程。 これを考え出す萩原さんも凄いが躊躇うことなく同意する佐藤さんも凄い。 これがOB会なんだと改めて感嘆する。  発信門王子から伏拝王子へ向かって歩き出す。 かなり強い雨で倉地さんは「本当に行くのかょ」と珍しくチョット弱気だが強引に引っ張る。 雨の中を途中々々で大休止、小休止を挟みながら歩いていくが不思議な事に歩いている際中は小降りになり屋根付きの休憩所では強く降る、という繰り返しで傘を差しながらの歩きでもそれほど苦労なく歩けたので助かった。 風もさほど強くない。 2度目の大休止中に萩原さん、佐藤さんが追いついた、早い!  熊野古道、比較的広い石畳の道が続くと思っていたがそんな事はなく上り下りはあまり無いがそこそこの山道みたいな感じ。 雨が降っているので路には水が流れているので滑りやすいし沢の水量も多く油断すると泥濘に嵌まる。 古い巨木の中を「昔の人はここを神域に向かうつもりで歩いたんだなぁ」と思いながら歩く。 そして自分も今同じく神域に向かっている、イヤあるいは既にここは神域なのか。  古道では多くの外国人に会う。 中国(or 台湾,香港)人や東南アジアと思しき人、そして欧米人(欧米なのか? なにしろ白人)。 彼らはこの古道の何に憧れるのだろう? 欧州にもノイシュバンシュタイン城に代表される古城やモンサンミッシェルのような古修道院、南アメリカにはマチュピチュ等々数え上げればきりがない遺跡があり、多くの日本人も観光に訪れている。 私も海外旅行に行けば有名な遺跡を訪れる。 多くの日本人が海外の遺跡を訪れる気持ちも何となく判るような気もするが、海外の人が日本の遺跡を訪れる気持ちは何となく不思議だ。 どんな感覚なんだろう? 日本人が海外の遺跡を訪れるのと同じ気持ちだろうか? あるいは東京人が紀伊の遺跡を訪れる感覚と大差ないのだろうか? そして彼らの歩く速度は速い。 我らが遅いのかもしれないが。 海外旅行では限られた時間を有効に使うのが大切だ。 ユックリと過ごす訳にもいくまい。 のんびりと歩ける我らは個人旅行の特権ですな。  今日のメニューは"天婦羅"。 そう"天婦羅"! これを食べ(作り)たくて5月合宿を言い出している。 熊野古道なんて二の次だ!! これが最大の目的だ!!! OB会で天婦羅を作るのは3度目だがどうも上手くいかない。 そう、最初に作った時に弘子さん(←名前の字合っているかな、嶋崎さんの奥さん)に「天婦羅粉を冷水で溶かすと美味しくなる」って言われていたのに今回も忘れてしまった。 まだまだ修行が足りません。 第四章 日本創生  5月18日(日)。 天気は曇り。 天気予報も今日一日は曇りでなんとかなりそう。 今日の予定は、  ◎車で道の駅那智に駐車 → 市野々王子 → 大門坂 → 那智大社、青岸渡寺 → 那智滝 → バス → 道の駅那智 というオーソドックスなコース。 歩き終わって見ると車道沿いの道はともかくかなり広い石畳の道、石階段ばかりではあるが昨日に比べて格段に歩きやすい。 雨も上がって曇り空なのでお日様に照らされることもなく快適な一日でした。  どこの神社で読んだのか忘れたが、というよりそこいらじゅうで「ここは天照大神のなんたらかんたら」という謂れが書いてある掲示板がある。 次に多いのがイザナミイザナギの尊に係るもの。 ここはイザナミイザナギの尊が日本列島を作った後に降り立った場所だという。 (その後ウィキペディアで確認すると各地にその手の伝説はあるようで、結局は地元びいきなのかも) 神話の世界に触れながら古道を歩くのは得も言われぬ(今風に言うと"エモい"ですね)感じで、こればかりは文字や言葉では表せません。  大門坂からの上りの途中に貸衣装屋がある。 ここでは他の観光地と違って着物(浴衣)ではなく平安貴族の旅衣装を貸し出している。 とても素敵だけど暑そうだし履物も草履になるから石階段は歩きづらそう。 中国系の娘さん二人が着ていたがまさしく絵になっていた。 その後この衣装を着た日本人5人連れも見ました。 この5人連れは那智大社で見たんだけど衣装はどこで返すんだろう? 那智滝を見上げる展望台では飽きることなく滝を見る。 これだけ大きな滝をみるのは小学校の修学旅行で華厳の滝を見た以来かな。 展望台に掲げてある滝の写真の方が水量は豊かだけど今見ている滝の水量も充分に多い。 一昨日から降り続いた雨のお陰だと思うと昨日の雨も有難く思ってしまう。  道の駅那智にバスで戻る。 萩原さん、倉地さん、宮嵜さん、みよ子さんは新倉神社、速玉神社に行くとの事。 千秋さん、房子さん、佐藤さん、私は既に初日に行っているので買い出しをして「おとなしの郷」へ。  今日はパエリア。 パエリアの素を使えば誰でも美味しいのが簡単に作れる。 ただ計量カップがなかった故お米の分量がいい加減だったのが玉に瑕。 フライパン2つを使って計4合のパエリアを作る。 佐藤さんはベランダで昨日に続いて今日もおつまみを作ってくれている。 料理人が二人いるとバラエティーに富んだ肴がテーブルに並びます。 2つ目のパエリアはチョット焦げたので萩原さんから「お焦げが固い」とクレーム。 萩原さん!パエリアはチョット焦がすのがテクニックで、そのお焦げが美味しんですヨ。  3日間の歩行を労いながら、残った食材を食べ尽くしながら、余ったビールを胃に流し込みながら、熊野の夜は更けていくのでした。 第五章 伊勢神宮  5月19日(月)。 今日の天気は薄曇り。 コテージ前で最後の記念写真を撮り後片付けをして新宮駅に。 来る前より綺麗に片づける事はできたかな? 新宮駅近くの「浮島の森」に立ち寄って新宮駅に着いたのは11時頃だったか。 萩原さん夫妻、倉地さん、宮嵜さん、みよ子さんは12:45発の南紀6号で名古屋に向かう。 千秋さん、佐藤さん、私は佐藤さんの提案で伊勢神宮へ。 ここでお別れです。 皆さん、又機会があったら集まって楽しい旅をしましょう。  伊勢神宮に向かう高速道路が途中工事中で全面通行止め。 しかもこの工事は今日(5月19日)から始まった。 ナビは工事中までは案内してくれない。 来る途中も道を間違えたしこんな事もあるんですね。 さらに東名高速上り名古屋辺りでも工事中で三車線が一車線に規制されて大渋滞に嵌まる、というおまけまで付きました。  そして伊勢神宮内宮に到着。 伊勢神宮です! そうです、江戸時代、皆が憧れていたお伊勢参りです! お伊勢参りに関連した浮世絵がそこいらじゅうに飾ってあります。 それらの由来や風俗などを眺めていると昔の人の熱気を感じます。 娯楽の少なかったあの当時、どれほど感動したでしょう。  ほど近い「ふくすけ」というお店で名物伊勢うどんを食べる。 伊勢うどんはコシがなく非常に柔らかい。 ウーン、私はコシのある讃岐うどん系の方が好きだなぁ。 関西系は出汁で食べるからお出汁は美味しいんですけどね。  伊勢神宮は広いので隅々までは見られなかったけど、田舎者の私はお伊勢参りができただけで満足々々。 千秋さん、佐藤さんも恒例の御朱印を押して貰って満足そう。 ものはついでで伊勢神宮外宮(←これ"げぐう"って読むんです)にも寄ってから帰路へ。  相模原に着いたのは24時チョット前だったかな。 千秋さんを送り届けてから八王子へ。 佐藤さんは私を八王子まで送ってくれました。 佐藤さん、長距離の運転ご苦労様でした。 そして本当にありがとうございました。 萩原さん、宮嵜さんも熊野での運転ありがとうございました。 佐藤さんには忘年会の時もいつも同乗させて貰っていますし毎度お世話になっております。 機会があったら次回も是非とも宜しくお願いします。 エピローグ  熊野大社の主祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)です。 須佐之男命の后神である稲田姫も祀られています。 須佐之男命といえばヤマタノオロチ(八岐大蛇)ですよね。 稲田姫が生贄にされるところを須佐之男命が八岐大蛇を退治して稲田姫を助けました。 そしてお二人は結ばれました。 という事が掲示されておりました。  時はかわって嵯峨天皇(在位809-823)の頃、近江の国に玉姫というたいそう美しい娘がおりました。 その内に玉姫の元にある男が通うようになり懐妊したのですが、その通い人は八岐大蛇の霊で大蛇の時に出会った稲田姫と玉姫があまりにも似ていた為に懸想して契りを結んだのでした。 そして生まれた子供が色々な経緯を経て酒呑童子になりました。 という事を平田さんに貰ったチケットで行った酒呑童子展で知りました。 熊野古道に行った直後でしたのでより一層感慨深く見られました。 --- 完 ---